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荒木町コラム 須賀神社と祭礼②

須賀神社の御祭神と天王信仰

四谷の御祭神と天王信仰

れでは、「四谷天王稲荷社」と呼ばれていた須賀神社に祀られる神々について、少し見てみることにしましょう。

四谷天王稲荷の面白いところは、主祭神を二柱祀る、いわゆる「御両社」である点にあります。祀られているのは、須佐之男命(素戔嗚尊/スサノオノミコト)と宇迦能御魂命(稲荷大神/ウカノミタマノミコトの二柱。
浅草の三社さまのような華やかさはないかもしれませんが、こちらは一柱一柱が実に骨太です。荒々しさと恵みをあわせ持つ神々を、きっちりと両脇に据えているあたり、いかにも四谷らしい構えといえるでしょう。

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現在の須賀神社の本殿(イメージ)

須佐之男命スサノオは、『古事記』『日本書紀』に登場する荒ぶる神で、天皇家に連なる天津神*でありながら、地上の世界である葦原中国*に深く関わり、国津神*としての性格もあわせもつ神として知られています。天照大神と対立して高天原*を追われた須佐之男命は、出雲の地に降り立ち、八岐大蛇*(ヤマタノオロチ)退治に象徴されるように、荒ぶる力をもって災厄に立ち向かい、国土を鎮めました。
天から秩序を授ける神というよりも、地上の混沌や災いを引き受け、現実の土地や人々の営みに深く関わる点に、この神の大きな特徴があります。

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須佐之男命を鎮める八岐大蛇(イメージ)

仏教伝来後、須佐之男命は祇園精舎*の守護神とされた牛頭天王(ごずてんのう)と習合していきます。

牛頭天王は、その名に示されるように異形の神として捉えられ、疫病や死、境界を司る神格として仏教とともに日本へ伝えられました。疫病や災厄をもたらす一方で、それを鎮め祓う力をもつという性格は須佐之男命とも通じ、両者は次第に同一の神格として認識されるようになっていきました。

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牛頭天王坐像(イメージ)

人口が密集し疫病が流行しやすい都市では、この神への信仰はとりわけ強く求められることになります。京都・祇園に祀られた牛頭天王(現在の八坂神社)への信仰は「祇園信仰」と呼ばれ、疫病退散を願う人々の祈りとともに各地へ広がっていきました。

やがて各地の神社に牛頭天王が祀られるようになり、人々はこれを「天王さま」と呼んで信仰しました。こうして、疫病除けと都市守護を願う信仰は「天王信仰」として広く定着していきます。

この祇園信仰、すなわち天王信仰は江戸にも広まり、神田明神の摂社*として祀られた天王社を中心に、町人たちの疫病除けの神として信仰されていきました。こうした流れの中で、四谷にもまた「天王さま」が迎えられることになったのです。

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祇園信仰の中心地である八坂神社(イメージ)

一方、宇迦能御魂命(ウカノミタマ)は、『古事記』に登場する穀物の女神で、須佐之男命の子とされる国津神の一柱です。土地に宿り、人々の暮らしに寄り添う、きわめて生活に近い神格として広く信仰を集めてきました。

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宇迦之御魂大神像(イメージ)

この宇迦能御魂命を、民間信仰の中で親しみをもって呼び慣わした名が、稲荷大神(いなりおおかみ)です。「稲荷」という名は、「稲が成る」「稲を荷う」に通じるともいわれ、農村では五穀豊穣の神として、商家では商売繁盛の守り神として、さらに武家屋敷では家運長久を願う神として、それぞれの立場に応じた信仰を集めてきました。

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稲荷信仰の御本社である京都・伏見稲荷大社(イメージ)

江戸の町人は、疫病や火災といった災厄を防ぐとともに、商業や日々の暮らしの安定を願い、多様な神仏を組み合わせて祀っていたとされます。

その意味で、疫病退散を願う天王と、暮らしを守る稲荷という二柱をあわせ祀る四谷天王稲荷社の形は、江戸の町人の信仰のあり方をよく表しているといえます。

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御両社を祀る須賀神社の本殿(イメージ)

このように江戸時代以来、四谷で篤く信仰されてきた四谷天王稲荷社ですが、明治維新後の明治元年(1868年)、神仏分離令*を受け、牛頭天王をはじめとする仏教色の強い要素をそのまま掲げることが難しくなったため、「天王社」を改め、現在の「須賀神社」へと改称されました。

「須賀」という名は、須佐之男命が出雲で八岐大蛇を退治したのち、根之堅洲国に至り、「吾れ此の地に来たりて心須賀須賀し」と語り、その地に宮を営んだとされる故事に由来します。

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須佐之男命が営んだ須賀の宮の地と伝えられる島根県雲南市の須我神社(イメージ)

八雲立つ、とまではいきませんが——四谷の高台にそびえる須賀神社は、江戸の頃から四谷十八ヵ町の総鎮守として、いまもこの界隈を見守っています。

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四谷須賀神社の男段(イメージ)
  • 天津神と国津神(あまつかみ と くにつかみ)…日本神話において、天上の高天原に起源をもつ神々を天津神、地上に古くから祀られてきた神々を国津神という。天津神の系統は天照大神から天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を経て天皇家へと連なるとされ、国津神は大国主神(おおくにぬしのかみ)など在地の神々を指す。天孫降臨や国譲りの神話は、両者の関係を象徴的に物語る。

  • ​高天原と葦原中国(たかまがはら と あしはらのなかつくに)…日本神話において、神々が住まう天上世界を高天原、人々の暮らす地上世界を葦原中国という。天照大神の意向により、大国主神が葦原中国の統治を天孫に譲る神話(国譲り)が語られ、そののち天孫・瓊瓊杵尊が高天原から葦原中国へ降る(天孫降臨)。

  • ​八岐大蛇(やまたのおろち)…日本神話に登場する、八つの頭と尾をもつ大蛇の怪物。出雲の地で人々に災厄をもたらしたが、須佐之男命によって退治された。その尾から草薙剣が得られたとされる。この神話は、斐伊川の氾濫を象徴したもの、あるいは鉄の生産や技術を背景とする伝承とみる説もある。斐伊川は氷川の語源ともされることから、須佐之男命を祀る氷川信仰へとつながり、関東各地にも広まった。

  • ​祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)…古代インドの舎衛城(シュラーヴァスティー)にあった仏教寺院(祇樹給孤独園)。釈迦が説法を行った聖地で、日本では『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声」により、諸行無常の象徴として広く知られる。

  • ​摂社(せっしゃ)…神社に付属する小社の一種で、本社と特に縁の深い神を祀るもの。本社の祭神と由緒的・系譜的に関係のある神が祀られる場合が多く、末社よりも格が高いとされる。

  • 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)…明治元年(1868年)に出された神道と仏教の分離政策。神社から仏教的要素を排除することが命じられ、廃仏毀釈の動きも引き起こし、各地の信仰や寺社のあり方に大きな影響を与えた。

て、ここでひとつ閑話を挟んでみましょう。

他のコラムでも触れましたが、荒木町の町内でも二柱の神をお祀りしており、こちらも「御両社」と呼ばれ、町内で親しまれています。

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荒木町に鎮座する金丸稲荷神社(イメージ)

その一つが金丸稲荷神社です。起こりは須賀神社とは異なりますが、祀られているのは同じく宇迦能御魂命で、五穀豊穣や商売繁盛を司る、暮らしに寄り添った神として信仰されてきました。日本神話の系譜では、須佐之男命の娘とされています。

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策の池の畔に鎮座する津の守弁財天(イメージ)

もう一つの津の守弁財天でお祀りしているのは、七福神の紅一点であり、水と芸能の女神として知られる弁天様です。神仏習合のもとでは、この弁財天は市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)と同一視されます。

市杵嶋姫命は宗像三女神*の一柱で、こちらも商売や芸能、水(海)を司る女神です。天照大神と須佐之男命の誓約*の際、天照大神が須佐之男命の剣を噛み、その息から生まれた神とされ、須佐之男命の系譜に連なる存在とされています。

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弁財天坐像(イメージ)

こうして見てみると、須賀神社の御両社も荒木町の御両社も、いずれも須佐之男命の流れをくむ神々をお祀りしていることになります。
偶然とはいえ、なんとも不思議な縁を感じずにはいられません。荒木町という窪地そのものが、須佐之男命の大きな腕にそっと抱かれている――そんな気さえしてくるのです。

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八雲立つ 荒木町町域(イメージ)

さて、次のコラムでは、江戸の祭礼と四谷の天王祭のお話へと移ることにしましょう。続きはまた次の機会に。

  • 宗像三女神(むなかたさんじょしん)…市杵嶋姫命・田心姫命(たきりびめのみこと)・湍津姫命(たきつひめのみこと)の三柱の女神の総称。『古事記』『日本書紀』では、天照大神と須佐之男命の誓約の際に生まれたとされる。三女神は天照大神が須佐之男命の剣を用いて生んだ神であり、その由来から須佐之男命の系譜に属する神とされる。古くから航海安全や交通の守護神として信仰され、福岡県の宗像大社などに祀られている。

  • 誓約(うけい)…ここでは天照大神と須佐之男命の誓約を指す。日本神話において、両神が互いの持ち物を用いて神を生み、その心の清浄を占った神事。天照大神は須佐之男命の剣を用いて三柱の女神(宗像三女神)を生み、須佐之男命は勾玉を用いて五柱の男神を生んだとされる。この結果、須佐之男命の心に邪意がないことが示されたと解される。なお、このとき生まれた三女神と五柱の男神は、あわせて「八王子」と総称されることがあり、中世以降の八王子信仰へとつながるとも考えられている。

荒木町の御両社と須佐之男命

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